第3章 第5節 その他の施策~押印省略について~
千鳥ヶ淵研究室 主任研究員 遠藤恵
従来より、労使関係に連なる各種手続において、署名もしくは記名・押印は、契約内容の正当性および真意確認等がなされたことを客観的に明らかなものとするために用いられていた。一方で、デジタル時代を見据えたデジタルガバメント実現のためには、書面主義、押印原則、対面主義からの決別が課題とされており、「どうしても残さなければならない手続を除き、速やかに押印を見直す」という考え方のもと押印省略に向けて動きがはじまり、コロナ禍においてさらにその動きが加速したとされている。
本節では、コロナ禍において加速した施策のうち、社会保険・労働基準法関連に関する「押印省略」について視点を絞り、企業における実務上の留意事項も含めて全体像について述べていく。
1、押印省略の背景
デジタル時代を見据えた手続きの簡素化や、新型コロナウイルス感染防止、在宅勤務をはじめとするテレワーク勤務の推奨を促進することをきっかけとして、対面の事務処理が必ず発生する押印原則の見直しが繰り返し議論されてきた。
内閣府を中心に「どうしても残さなければいけない手続きを除き、押印原則を見直す」という考え方のもと、民間から行政への手続きの99%以上が押印省略の方針とされた。この押印省略は行政手続きにおける国民の負担を軽減し、国民の利便性・生産性の向上を図ることが目的とされ、押印省略により、例えば「押印のために出社しなければいけない」などの状況を避けることが期待されている。
しかしながら、全ての様式が押印省略の対象とはなっておらず、例として労使協定等の一部の届出に関しては、締結の証明として一度は押印をしなければならないといった事情が生じるため留意しておく必要がある。
(補足:押印について)
日本では印鑑の印影が文書の成立を証明すると広く考えられている傾向にあるが、元々証明に必須ではなく、政府も「特段の定めがある場合を除き、契約に当たり、押印をしなくても契約の効力に影響は生じない」という見解を示している。
2、社会保険について
ほとんどの手続きにおいて押印省略が認められているが、例外として、「健康保険厚生年金保険 保険料口座振替納付(変更)申出書」といった口座振替に係る届出には押印が求められている。押印又は署名が必要である「特に慎重に届出の真正性を確認する必要があると考える届出等」に区分される手続きには引き続き、押印等が求められているといえる。
なお、協会けんぽのホームページには、健康保険の申請書類について、記載欄ごとに押印が必要か否か確認できるよう各種申請書の一覧が用意されている。
https://www.kyoukaikenpo.or.jp/~/media/Files/honbu/free/beppyou.pdf
3、労働保険について
労災保険に係る各種手続きは、基本的に押印は必要なくなったとされている。一方で雇用保険においては、引き続き押印が必要となる届出もあるため省略の可否をあらかじめ確認しておくことが必要となる。なお、補足ではあるが、「離職証明書」や「休業開始時賃金月額証明書」等については、押印省略の有無に関わらず、記載内容に誤りがあった場合に、公共職業安定所等において、その場でもしくは相手方によって訂正してもらえるように、「捨印」を押しておく必要があるので改めて留意すべきものといえる。
大阪労働局「雇用保険関係に係る届出への押印が原則不要となります。」
https://jsite.mhlw.go.jp/osaka-hellowork/content/contents/000811260.pdf
4、労使協定について
労使協定の届出には特に留意すべき点があり、実務上、よくご相談をいただく分野の一つでもある。押印省略の中でも、よく誤解が生じやすい内容となるので、実務上の対応について確認していく。
例えば、使用者が労働者に時間外・休日労働をさせるためには、「時間外・休日労働に関する協定(以下、「36協定書」とする)」を締結し、労働基準監督署に「時間外・休日労働に関する協定届(以下、「36協定届」とする)」を届け出なければならない。2021年4月以降の36協定届に押印は不要となったが「36協定書」には押印が必要とされている。そのため、36協定届に36協定書を兼ねているか否かによって次のように押印の対応が異なるとされるので、会社ごとの協定締結状況を今一度確認することが正しく協定を締結する重要な要素につながると考えられる。
①36協定届と36協定書が別途存在する場合
「36協定書」には、記名・押印または署名を行い、「36協定届(署名及び押印不要)」には記名を行い労働基準監督署へ届け出る。
②36協定届に36協定書を兼ねている場合
「36協定届」へは記名・押印または署名が必要となる。
労使協定とは、本来、労働基準法に反する内容を労使の合意によって、緩和できる制度でもある。したがって、労使で合意したうえで労使双方の合意がなされたことが明らかであると客観的に示すために署名等が求められている。
5、おわりに~押印省略による効果~
押印省略が認められたことで、お客様と小林労務の立場からまず考えられることとして、費用と時間について挙げられる。押印が不要となったため、書面をお客様へ送付するための郵便代や、ご返送にかかる費用、押印を頂くまでの時間が削減されたことでより効率よく作成から届出までに至れるようになった。
一方で、36協定については、36協定届に協定書を兼ねている場合が多く見受けられるため、36協定には必ず署名もしくは記名・押印が必要とされていることから、押印省略による事務的負担削減の恩恵を受けているケースは少ないと想定できる。さらに、36協定に限らず、労使協定書については、労働基準局により「労働基準法施行規則等の一部を改正する省令に関するQ&A(1-5)」の中で次のような指導が行われている。
(Q)協定書や決議書における労使双方の押印又は署名は今後も必要ですか。
(A)協定書や決議書における労使双方の押印又は署名の取扱いについては、労使慣行や労使合意により行われるものであり、今般の「行政手続」における押印原則の見直しは、こうした労使間の手続に直接影響を及ぼすものではありません。引き続き、記名押印又は署名など労使双方の合意がなされたことが明らかとなるような方法で締結していただくようお願いします。
以上のことから、押印省略の対象となる手続きは多くあるものの、労使間の合意については、双方で確かに協議が整ったことの証として押印が求められることもあるため、実務上、各種手続きを行う際には一定の項目や届出期日に配慮をしつつ対応することが求められている。
次節では、電子申請の普及について述べていくこととする。
<参考資料>
・厚生労働省労働基準局「労働基準法施行規則等の一部を改正する省令に関するQ&A」(令和2年12月)。
・内閣府「地方公共団体における 押印見直しマニュアル」(令和2年12月18日)。
・厚生労働省「2021年4月~ 36協定届が新しくなります」(2020年12月)。
・内閣府、法務省、経済産業省「押印についてQ&A」(令和2年6月19日)。
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