第1章 労務管理の歴史
第1節 労働基準法成立
千鳥ヶ淵研究室 主任研究員 遠藤恵
本節では、労働基準法の先駆けである工場法をふりかえりながら、労働基準法制定の背景を整理する。さらに、労働者保護の実効性を担保するという労働基準行政の基本的な役割を担う労働基準監督官制度についても触れていくこととする。
1、労働基準法とは
憲法第25条第1項では、生存権を定め、すべての国民に「健康で文化的な最低限度の生活」を保障している。さらに、憲法第27条第2項では、「勤労条件の基準は法律で定める」としており、この両規定を根拠として立法されたのが労働基準法である。
「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない。」-労働基準法第1条第1項より-
この労働基準法が成立する以前、戦前のわが国では、労働者を保護する労働法の整備が不十分であった。そのため、労働者は過酷な労働条件で拘束されるなど、労働力を一方的に搾取される悲惨な状況下に置かれていた。労働基準法は、全労働者に適用される統一的・根本的な労働に関する法律が存在していなかったこともあり、昭和22年に憲法が制定されたことを受け立法化されたものである。これにより、生存権の保障・契約自由の原則の修正・社会的弱者としての労働者の権利の保護が徹底されることとなり、人間性を無視した労働条件に基づく労働の提供を強制することは法律によって規制されることになった。たとえば、法の根本原則の一つに、「契約自由の原則」があるが、労働契約については労働基準法により大きく修正が加えられており、当事者間の合意があっても労働基準法の規定に反する特約を設けることができないとされている。つまり、労働者の権利を保護するための強行法規としての特徴を持っている。なお、労働基準法では、基本原則である7つに加えて、労働者と使用者の定義、労働契約(労働時間、賃金、年次有給休暇、年少者・妊婦、就業規則等)について明確に定められている。
以降では、このような労働基準法が、どのような時代背景のもと制定されたのか整理してみることとする。
2、戦前日本と連合軍総司令部による民主化政策 ~労働三法の成立~
労働基準法は、戦後日本に対する連合軍総司令部(以下、「GHQ」とする。)の改革の一環として制定された。
日本において、労働関係の代表的な法律である労働組合法・労働関係調整法・労働基準法を「労働三法」と呼んでいる。なかでも労働組合法は、日本国憲法施行より早い昭和20年に制定された。憲法よりも早く制定されたのは、労働組合結成の促進がアメリカ占領軍の民主化政策の一つであったからだといえる。昭和20年8月15日に終戦となり、日本は連合国に占領されることになり、8月末にアメリカのダグラス・マッカーサー元帥が占領政策を実施する連合国軍最高司令官として来日した。そして、マッカーサー元帥を最高権力者としてGHQが作られ、その意向が日本政府を通じて実施されていた。10月、マッカーサー元帥はポツダム宣言に基づき占領政策の基本を民主化政策「五大改革指令」として表明。その五大改革指令の一つ目に選挙権付与による婦人の解放、二つ目は自由主義的教育を行うための学校の開設(教育改革)、三つ目に検察・警察制度の改革があり、思想弾圧である治安維持法や特別高等警察を廃止、続いて、経済機構の民主化が挙げられ、財閥解体、農地改革・地主制度解体を行った。そして、五つ目が労働組合の結成であった。その後、労働基準法は、昭和22年、廃止直前の旧憲法に基づく帝国議会によって制定された。提案理由としては、【昭和22年第92帝国議会 労働基準法提案理由(抄)】において、「1919年以来の国際労働会議で最低基準として採択され、今日ひろくわが国においても理解されている8時間労働制、週休制、年次有給休暇制のごとき基本的な制度を一応の基準として、この法律の最低労働条件を定めたことであります。戦前わが国の労働条件が劣悪なことは、国際的にも顕著なものでありました。敗戦の結果荒廃に帰せるわが国の産業は、その負担力において著しく弱化していることは否めないのでありますが、政府としては、なお日本再建の重要な役割を担当する労働者に対して、国際的に是認されている基本的労働条件を保障し、もって労働者の心からなる協力を期待することが、日本の産業復興と国際社会への復帰を促進するゆえんであると信ずるのであります。」としている。
労働組合法の目的は、その第一条に「労働者が使用者との交渉において対等の立場に立つことを促進することにより労働者の地位を向上させること、労働者がその労働条件について交渉するために自ら代表者を選出することその他の団体行動を行うために自主的に労働組合を組織し、団結することを擁護すること並びに使用者と労働者との関係を規制する労働協約を締結するための団体交渉をすること及びその手続を助成すること」と定められている。そして、後に公布される日本国憲法28条で、労働三権・労働基本権といわれる団結権・団体交渉権・団体行動権(争議権)が保障されることになる。
労働関係調整法は、昭和21年に公布された。労働関係の公正な調整を図り、労働争議を予防し、または解決するための手続きを定めた法律である。争議行為が発生して社会生活に影響を与えるような場合には、労働委員会による裁定を行うことを規定している。労働委員会は、労働者の団結擁護・労働関係の公正な調整機能を目的とする行政委員会であり、使用者委員・労働者委員・公益委員が各同数で、国・地方公共団体に設置することが、労働組合法にさだめられている。
そして最後に制定されたのが労働基準法である。戦前の労働保護の基本法規であった工場法の保護対象は極めて限定的であったため、憲法27条「勤労権」の規定に基づいて制定された労働者のための保護法であり、労働条件の最低基準を定めることとされた。
当初の労働基準法は、
・1日8時間、週48時間の労働時間
・時間外労働、深夜労働、休日労働についての割増賃金(25%)
・4週間以内の期間を単位とする変形労働時間制(4週間を単位とし、1週間の労働時間が48時間を超えない場合は、特定の日又は週において、8時間又は48時間を超えて労働させることができる)を規定していた。
婦人及び年少労働者の保護行政も、労働基準法の施行により再度見直され、昭和22年に女子年少者労働基準規則が制定された。同年、労働省の新設とともに、婦人少年局が設置され、婦人の局長が誕生した。日本の行政機構の中で、女子と年少者を初めて専門に扱う部局の発足となり、ここで婦人少年行政はめざましく進展した。行政運営の中心としては、働く婦人の啓発、働く年少者の保護、婦人の地位の向上等に置かれた。昭和22年には働く年少者の保護運動が、同24年には婦人週間が、それぞれ開始した。これを契機とし、国際労働関係としては、昭和26年に国際労働機関(以下、「ILO」とする。)への再加盟が実現した。昭和13年にILOを脱退していた日本の、13年ぶりの復帰が認められた(昭和5年以降に入ると日本の中国大陸への侵略拡大に伴い国際的孤立が進み、昭和8年の国際連盟脱退に続き、昭和13年11月ILOに脱退通告がなされた(2年後に発効)。よって、昭和15年から昭和26年は脱退となった経緯がある)。
3、労働法の先駆けである工場法
ここでは、先に登場した工場法について触れる。
戦前の日本において労働法として定められていた工場法は、主に工場で働く女子や年少者の労働を規制したものであり、労働者全体の保護というよりは、国の発達のための良質な労働者の確保という意味合いが強いものとされていた。そのため労働者を保護するための法律としては不十分であり、労働環境は依然として劣悪なものであった。つまり、資本主義生産における労働力の階級的消耗を防ぐことを目的とした最低限の労働者保護規定に過ぎなかったといえる。
この工場法であるが、繊維産業における幼年工の就業時間制限などを目的として1802年(享和2年)に英国で制定された法律(「工場徒弟の健康および道徳の保護に関する法律」)が起源といわれている(英国政府は、1833年(天保4年)に工場法を制定)。以後、幼年工の雇用禁止、親権の制約、女性・少年工の労働時間制限、安全や衛生・保健に関する規制、そして工場監督官設置などが定められ、各国にも普及した。
日本では大正5年施行の工場法が最初である(明治44年第2次桂太郎内閣により公布)。工場法制定までの道のりを紹介すると、明治政府は、近代国家建設の過程において、英国等先進国に倣って早々に工場法の制定をめざし、明治30年より帝国議会への法案提出を開始した。以後、工場法案を何度か帝国議会に提出したものの、経済情勢、日露戦争、そして紡績業界の反対などにより、明治44年まで立法化されることはなかった、というものである。その後、大正8年ILO第1回総会で,労働時間を1日8時間、1週間48時間と定められたのを契機に、大正12年工場法が改正されたが、低水準そのものであり、昭和4年の改正でようやく年少者や女性の深夜業が禁止された。
なお、保護の内容については、工場法本則において、①最低入職年齢を12歳としたうえ、②15歳未満の者および「女子」について、最長労働時間を12時間とし、深夜業(午後10時から午前4時)を禁止し(例外と長期の適用猶予あり)、休憩の基準(6時間を超えるときは30分、10時間を超えるときは1時間)および休日の基準(毎月2回以上)を定め、一定の危険有害業務への就業を制限し、③工場における職工の安全衛生のための行政官庁の臨検・命令権と、④職工の業務上の傷病・死亡についての事業主の定額の扶助責任を定めました。そして、施行令において、⑤賃金の通貨払いや毎月1回以上支払いの原則、⑥常時50人以上使用の工場における就業規則作成・届出義務(大正12年改正)などが定められていた。
4、労働基準監督行政
最後に、法律上の労働者保護は、労働基準法によって明確に定められたが、実際に労働者保護の実効性を担保する役割を担っている労働基準監督行政に焦点を当てたいと思う。
労働保護法規の実効性を保障する労働基準監督制度は、イギリス(1833年(天保4年))をきっかけとして、19世紀にフランス(1874年(明治7年))やドイツ(1878年(明治11年))に普及した。日本では、書生・年少者を保護対象とした工場法が明治44年に公布され、大正5年に施行されたのち,同年に工場監督のシステムが誕生した。当時の工場監督は、地方行政(都道府県知事)の警務部の所掌であり、工場監督官は、独立官職ではなく警察官や事務官等が兼任補職されていた。監督業務が政治勢力や地方権力に左右されることも多く、労働者の保護には地域差が生じていたとされる。また、工場監督官には、臨検、尋問や注意の権限が与えられていたが、行政処分の権限はなく、行政指導の重点は注意や始末書等に置かれており、送検手続きがとられることはなかった。
第二次世界大戦後、昭和22年には労働基準法が制定されたことにより、日本の労働基準はILO条約に批准する基準にまで引上げられるとともに、労働基準監督制度が確立された。同法の制定当初における労働基準監督行政では、強制労働や中間搾取、女性・年少者の深夜業・長時間労働の排除に重点がおかれ、厳しい経済情勢下での賃金不払いや解雇等の法令違反の防止・是正のために厳しい監督指導が行われるようになった。
戦後、日本の労働基準監督行政は、労働基準法制定以来、一貫して労働者の保護を担っており、その行政運営の方針は,事業主の「納得と協力」を求めるソフト路線から「厳格な監督指導」を行うハード路線まで幅があるものの、労働条件確保のために積極的・計画的な労働基準監督行政が展開されていた。
5、おわりに
本節では、労働基準法制定までの歴史・経緯等を整理してきた。令和5年現在においては、平成31年4月から始まった働き方改革関連法も相まって、当たり前のように恵まれた労働環境を享受している。
戦時中は国家総動員法に基づいて、軍国主義のもと、労働力不足に対処するための統制や徴用、勤労動員が行われた歴史があった。戦時中のこうした体制は、民主化対策を進めるにはふさわしくないとして、戦時労務体制の廃止がGHQにより命じられ、新しい労働行政である労働三法が成立した。それと同時に労働基準監督行政も確立していくこととなり、現在の労働環境の基盤が作られた。労働基準法の成り立ちを整理してみることで、制定当時の労働施策に対する思いの深さを痛感し、労働基準法の根本となる理念を改めて自覚し、本章で取り上げる労務管理の歴史を紐解く一助になればと考える。
次節では、労働安全衛生法の制定に伴う改正について述べていくこととする。
【参考文献】
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